君がいない世界



「あれ? 剛くん?」
 突然聞こえた声に、俺は、戸惑った。
 幻聴かと、思った。
 けれど。
 ネオンの闇の中。
 振り向くと。
 そこに、はいた。

 色褪せない記憶。
 言葉にすると、なんだか美しく聞こえるけれど。
 つまりは、忘れられない記憶。
 棘のように刺さって、いつまでも、苦しめる記憶。
 けれど、かけがえのない、大切な記憶。
 忘れたくない。
 取り戻したい。
 愛しいような。
 切り裂くような。
 と過ごした日々の記憶。

「おう」
 確かに現実だと、ようやく声を出せた。
 ああ。
 目の前に、がいる。
 二度と会えないと思っていたが。
「久しぶり」
 が微笑む。
 一緒にいた頃のの笑顔がフラッシュバックする。
 同じ。
 でも、違う。
 何かが、違う。

 気づけば、すれ違いばかりだった。
 会えない時間も、合わない時間も、耐えられなかった。
 俺も、も。
 そんな日々に疲れてしまっていた。
 あの日、二人で決めたんだ。
 もう、「さよなら」しようって。
 一緒にいられないのは、耐えられないって。
 こんなに辛いなら、別れてしまうほうがマシだって。
 その時は、そんな風に思ってしまっていた。

「剛くん、すごいね。あれから、テレビとかは見てたんだ。大活躍、してるね」
 俺が何も答えないからか、が言葉を重ねた。
は、変わらないね」
 嘘だ。
 嘘だよ。
 なんだか、前より綺麗に思える。
 俺と別れてから、どうしてた?
 今、彼氏はいるの?
 他に付き合ったヤツは?
 きっと、いたんだろう。
 いや、いるんだろう。
 信じたくない。
 信じたくないよ。
「そう、かな?」
 が、はにかんだ。
 あぁ、似ていても、やっぱり違う。
 今日までこんな風にのことを輝かせたのは、きっと。
 俺が知るはずもない、何か。
「ちょっと、歩くか」
 立ち止まって話すよりも、いい気がした。
 俺が歩き出すと、が横に並んだ。
 歩くペースは、あの頃のまま。
 も、当たり前のように、そこに。
 無言のまま、しばらく歩いて。
 といるんだと実感する。
 歩く感覚が、あの頃のようで。
 ただ。
 あの頃は、俺の真横にいたのに。
 並んで歩いてはいるけれど。
 俺との間には、あの頃とは違うスペースができていた。
 あの頃のように、手をつなぐことは、ない。
 そんなことは、もう、できなかった。

 別れたのは、間違いだった。
 俺が、そう思うようになるまでには、時間がかからなかった。
 けれど、別れてしまった。
 にはの、未来があった。
 二人で「さよなら」を決めた時から、俺たちは、違う未来を選んでいた。
 それが、わかっていたから。
 間違いだったなんて、言えなかった。
 ずっと、会いたかった。
 できるなら、もう一度。
 何度願ったことだろう。
 せめてあと5分でいい。
 このまま。
 一緒にいたい。

「お前は、元気にしてか?」
 沈黙を破ったのは、俺。
 このまま、また、「さよなら」はしたくなかった。
 せっかく、会えたのだから。
「うん。それなりに」
 微笑む
「なんだよそれ」
 あぁ、これだ。
 とりとめのない会話。
 あの頃、当たり前に出来ていたこと。
「剛くんは?」
 一瞬、言葉に詰まる。
「まぁ、いろいろ」
 正直、順調ではなかった。
 悩んだこともあった。
 のことだけじゃなくて、仕事でも。
 思い通りにならないことの方が多い。
 そんな日々の中で。
 こうして、に、出会った。
「剛くんのお仕事、大変だもんね」
 には、ごまかしが通じない。
 言葉にするのが苦手な俺なのに。
 言葉が足りてないことばかりなのに。
 それなのに、わかってくれる。
 心地いい。
 それを、また、こうして、感じられる。
 奇跡みたいだ。
「てか、なんでこんな時間にこんな場所にいんだよ?」
 深夜に、ネオンが灯る場所なんかに。
「仕事の飲み会。明日休みだからって、3次会まで付き合わされちゃった」
 少しスネたような横顔。
「マジかよ。すげぇな」
 コイツも俺と同じで酒飲まないのに。
「剛くんこそ、なんで?」
「俺? 似たようなもんだよ。仕事の付き合い」
 面倒くせぇって思っていたけど。
 今となっては、感謝したいくらいだ。
「お互い、付き合いも大変だね」
 が、クスクス笑う。
「本当だな」
「中途半端な時間だから、始発まで散歩でもしようと思ってたの」
「一人じゃあぶねーだろ」
「うん。だから、剛くんに会えて、良かった」
 には、何気ない言葉だったのかもしれない。
 だけど、俺には。
 その言葉が、嬉しかった。
 とても、嬉しかった。

「あ、そろそろ、始発の時間」
 が、呟く。
 あぁ、そうだ。
 夢は、終わる。
 なのに。
 こうして、並んで。
 当たり前みたいに。
 あの頃みたいに。
「じゃぁ、私、行くね」
 そう言ったの後ろに霞む空が、少し白んでいる。
 引き止めたい。
 別れたくない。
 だけど。
 今はもう。
 俺たちは違う場所で生きているから。
 戻れなくなってしまう、その前に。
「ああ」
「さよなら、剛くん」
 足を止めたは、まっすぐ俺を見つめている。
「さよなら」
 絞り出したその言葉は、ちゃんと、に届いているだろうか。
 は、歩き出す。
 俺に、背を向けて。
 俺と、の動き出した未来は、別のものだと。
 まるで、そう、告げるように。
 それでも、まだ。
 と日々の陽炎の中に佇む俺は。
 きっと。
 部屋に帰れば思い出せるだろう。
 の思い出の残るあの部屋で。
 もう、のいない世界に生きているのだと。